2002年10月10日(木)〜13日(日)

立山 & 剱岳 with H田さん、H見くん

昨年に引き続き、今年も北アルプスの山に登ることになった。 そしてよりによって登る山は、『雪と岩の殿堂』 の剱岳。 立山はまだしも、剱岳は見る山であって登るべきではないと思っていたが、 最近のこのメンバーでの登山は段々難しい山に入るようになっている。 いつかザイルとハーケンを持ち出すのではないかとヒヤヒヤだ。

深田百名山では、『北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう。 層々たる岩に鎧われて、その豪宕、峻烈、高邁の風格は、この両巨峰に相通じるものがある。 大学山岳部が有能な後継者を育てるための夏季合宿、 精鋭を誇るクライマーのクラブが困難なルートを求めて氷雪に挑む道場を、 大ていはこの穂高か剱に選ぶのも故あるかなである。』 と書かれている。 そんな山に、こんな連中が登れるのか?

10月10日 (木)

仕事が長引き、出発できたのは松井の今シーズン50本目のホームランを見た直後。 磐越道、北陸道、上信越道、長野道と400 km程走り、豊科直前の築北PAに1:00に到着。 その場で、車の後部座席をハッチをフラットにし、簡易ベットとなった車でこの晩は眠る。

10月11日 (金)

4:30起床。 軽く朝食を車内で取り、行動開始。 大町を越え、 立山黒部アルペンルートの長野側入り口となる扇沢に6:00着。 7:00待ち合わせ。 H田さんとH見くんが渋滞のせいもあり少し遅れて到着。 7:30の始発には間に合った。 ところが、今回参加予定だったU田さんが前日出張だったこともあって、 まだ家を出ていないとの事。 今回の山行は3人となった。 まあ良くあることだ。

実は立山黒部アルペンルートは初体験。 こんな北アルプスの深部に、 よくまあトンネルやらケーブルカーやらトロリーバスをつくったものだ。 かの有名な黒部ダムは観光放水で大量の水を吐き出しているが、 混雑を避けるため早々に次の乗り物へ。 ロープウェイがこの立山黒部アルペンルートで律速になっている。 今日は連休の前日のためそれ程混雑はひどくなかったが、この紅葉シーズンの3連休中は、 下手すると数時間待つのもザラらしい。 この黒部平あたりが紅葉の盛りで、 その上ではもう紅葉はなかった。

(写真1: 黒部平の紅葉) (写真2: 正面に立山を望む)

室堂到着は9:30。 すでに標高2450 m。 晴れ。 すぐに正面にそびえる立山三山を目指す。 立山と言う特定の峰はなく、主峰の雄山 (3003 m)、浄土山、 別山を立山三山と言うとのこと。 でも最高峰は大汝山 (3015 m)。 普通、立山登山と言うと雄山に登ることを指すらしい。

一の越まではのんびりと標高を上げていく。 北面には小さな雪渓が残っている。 一の越で30分ほどの大休止。 南から南東にかけ、笠ヶ岳から槍・穂高の北アルプスや、 南アルプスと八ヶ岳、その間には遠くに富士山まで展望が見渡せる。 ここから雄山までは40分の急登。 古来より、山岳信仰の対象となっていた立山は、 今は2時間足らずで登れるようになった。 それでも山頂からの360度の大展望は、 今も昔も変わらない。 一の越からの展望に加え、針の木岳から、爺ヶ岳、鹿島槍、五竜、唐松、 白馬への後立山連峰が、すっきりくっきりと見え、北アルプスの雄大さを際立たせている。 真下には黒部湖。 そして北には明日登るつもりの剱岳のギザギザの山容。

(写真3: 立山山頂) (写真4: 大汝山から黒部湖を見下ろす)

昼食後、北へ縦走を始める。 最高峰の大汝山を越え、富士の折立をトラバースし、 真砂岳への下り。 ガスが急に出てきた。 周りの山々が一気に雲の中。 別山への登りかトラバースか考えたが、あまりここで無理して明日に疲労を残したくなかったので、 3人の共通意見としてトラバース。 うーん。 軟弱。

剱沢を望む稜線でU田さんと連絡がついた。 15:00の今、室堂到着との事。 U田さんは、 ガスが濃いため、今日は室堂に留まる事にしたため、剱岳には登れないことになり、 結局翌日も別行動。 我々は剱沢へ下り、剱沢小屋に15:40着。 ここは佐伯氏の経営する山小屋で、 過去の剱岳におけるアルピニズムを語るのに欠かせない役割を果たしてきた小屋。 今は電気も水道もそして温水シャワーまである近代的な小屋になっている。 夕食には分厚いトンカツが出て、当然缶ビールはキンキンに冷えていた。

10月12日 (土)

6:30出発。 快晴。 最高の登山日和だ。 真正面に朝日を浴びて黄色く輝く剱岳。 剱沢小屋にはNHKのプロジェクトX取材班が泊まっていて、彼らと追いつ追われつ登山道を進む。 30分で剣山荘。 このあたりから、いよいよ剱登山。 ノーマルルートとして最も多くの登山者が通るとはいえ、何人も死者が出ている。 ガレてザレて、とても不安定な岩、砂利のルート。 下から見た時には、 どこが登山道か全く分からないほど険しい山容だったが、そんな山に岩を越え、ガレ場を抜け、 登山道が通っている。 特に一服剱から前剱大岩の下を通り、前剱 (2813 m) までは緊張の連続だった。 ガレ場では落石に気を遣い、足を滑らすと数百m下の谷底に真っ逆さま。 鎖を使って岩に登り、鎖を使ってその岩を越える。 10 m進むのに何分かかったことか。

(写真5: 朝日を浴びる剱岳) (写真6:  カニのタテバイを攀じ登る登山者)(2人の登山者が写っているけど分かるかな?)

前剱を越え、コルを下り、更にいくつかの鎖場を越えて、登りのハイライトはカニのタテバイ。 言葉の意味は登ってみて判るものだ。 まさに縦に岩に這うしかない。 これがノーマルルートか? 全体重が鎖にかかる。 鎖を固定するボルトが抜けたらどうなってしまうのだろう? 考えたくもない。

(写真7: カニのタテバイを登っている最中のH見くん) (写真8: カニのタテバイを登って一安心のH田さん)

その後はガレ場となったが、タテバイに比べたら何てことはない。 9:40についに剱岳 (2998 m) に登頂。 さすがに岩の殿堂だった。 360度の大展望。 富山湾が北西に見え、海から一気にこの剱岳がせり上がっているのがよく分かる。 南に、昨日登った立山とその周囲の山。 後立山連峰は見る角度が昨日と異なっているため、 また新鮮な気分。 特に鹿島槍ヶ岳の相耳峰が美しい。

(写真9: 立山を背景に。 剱岳山頂にて) (写真10: 鹿島槍を背景に。 剱岳山頂にて)

3連休の初日のため、この時間にこの場所に居る登山者は少なく、 狭い山頂だったが十分に景色を堪能することが出来た。 早かったが昼食を取り、10:40に下山開始。 下山路でのハイライトはカニのヨコバイ。 何の意味だか判らなかったが、 ここも横に這いつくばって初めて意味が分かった。 岩を這ってトラバースするのだが、 一歩踏み外したらここも数百m下の谷底。 カニのヨコバイとは良く名づけたものだ。 写真を撮る余裕もなかった。 丁度梯子の下りにNHKがカメラを構えていて、 確実にレンズを通して我々は映ったはず。 なのに、後日のプロジェクトXでは全く放映されていなかった。 モデルとして何の不満があったのだろうか? 下りのガレ場は登りより注意が必要。 脚は疲れているし、緊張感はピークを過ぎているし。 雷鳥が登山道に1羽。 心が和む。

(写真11: 天然記念物 雷鳥) (写真12: ナナカマドと剱岳)

(写真13: 池に映る剱岳) (写真14: 雷鳥沢からの雄山)

13:40に剱沢小屋に戻る。 要らない荷を小屋に残させておいて貰っていたので、 詰めなおして剱御前小屋へ通じる別山乗越を最後の踏ん張りで登る。 あとはヘトヘトになりながら、ダラダラと雷鳥沢を下り、雷鳥平へ。 予約してあった雷鳥平ヒュッテに16:00着。 ここには温泉がある。 一日中ほとんど雲のない、最高の天気だった。 ここでU田さんとようやく落ち合えた。 彼は大日岳と雄山と2つの山を登ったそうで、それなら剱岳に来れたんじゃないの? って話。 ヘトヘトになった後の温泉とビールは最高だ。

10月13日 (日)

もう、今日はみんなダレダレモード。 目標の山を登ったので、 とにかく渋滞に巻き込まれる前に帰りたい。 7:30にヒュッテを出て、 アルペンルートで一気に下界へ戻る。 これから入山する人はロープウェイで1時間待ちのようだった。

山には2つの種類がある。 一度は登りたいけど、二度と登りたくない山。 一度登ったら何度も登りたくなる山。 この剱岳はまさに前者。 最高の天気に登ったのだから、 もう、これからは眺めるだけで良い。 それに何せ怖い。 確かに展望は素晴らしく、 登り甲斐もある。 でもこんな岩だらけの山は、性に会わない。 そんな気持ちが一層強まった登山だった。

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