旅立ちまで

子供の頃から、自転車は好きだった。 小学生の時にようやく乗れるようになってからは、どこに行くのも自転車だった。 高校に通うのも電車通学が窮屈で、自転車通学禁止の学校のため先生に何度か怒られながらも自転車で通った。 その自転車は中学生のときに買ってもらったブリジストンのロードマン。 当時大流行したドロップハンドルの名車だ。

高校生までは、ずっと野球部だった。 団体で一つのことを目指すことはとても良い。 ただ、どうしても自分だけのための目標が見つけられなかった。 大学生になったら、自由に旅に出たい、 電車やバスの時間を気にせずに。 一人ですべてを全うしたい。 全て自由になりたい。 全てを自分の意志で決めたい。 子供の頃から電車好きで時刻表を眺めているだけで楽しかったが、何故かその旅の手段では物足りなく感じるようになっていた。 きっと、それは自転車だったらかなえる事が出来るのでないか? いつからだったろうか、そう思うようになっていた。 でも自転車に乗ることは好きで、体力に自信があっても、それ以外は何も知らない。 一日にどのくらい走れるの? 自動車がビュンビュン走っていて危険じゃないの? パンクになったら? 宿は? 食事は?

1989年3月

高校を卒業した春休みに、初めて長距離サイクリングに出た。 横浜の実家から新橋の浜離宮庭園までの往復約70 km。 何も分からない中での出発だった。 多摩川にかかる橋を越えて東京都に入ったとき、ものすごく感激した。 自転車で、自分の脚の力で県境を越えたのだ。 目的地までのルートが未知であった。 でも、地図を見て走れば、 それは結局は近所に行くことの延長だった。 何とかなるぞ。

1989年秋

大学2年生の夏休み、10代最後の夏をひとり旅することに決めた。 場所は東北地方一周。 そう思ったのはその年の秋も終わる頃だったか。 そうと決まっては、することがたくさん出来た。 走り込み、情報収集、旅のテクニック。 何より資金。

1990年3月

大学1年生を終え2年生になるまでの春休みに、集中的に稼いだ。 朝から夕方までガードマンとして交通整理をした。 自動車免許を取ったばかりだったので、ドライバーに何度か怒鳴られたりしたが、一生懸命働いたおかげで資金は大分たまった。

1990年4月〜6月

暖かくなりだしてからは、週3日程度、多摩川堤防のサイクリングコースを走りこんだ。 休日には1日90 km、100 kmの小旅行にもいくつか出た。 自転車を分解して電車に持ち込む輪行も体験した。 ユースホステルの会員にもなった。 1970年代のユースホステルでは、 夜になるとロビーに皆が集まりギターを囲んで歌を歌っていたらしい。 でも昨今はそんなスタイルは少ないらしい。 相部屋であることを良しとするか悪しとするかは考え次第。 ひとり旅では旅情報の貴重な交流の場となるとのこと。
こうして不安や心配事を、一つ一つの消していった。

ここまでの小旅行

1989/3/20: 70.0 km (横浜・磯子 ⇒ 新橋 浜離宮 ⇒ 磯子)
1989/12/9: 37.0 km (府中 ⇒ 多摩湖 ⇒ 府中)
1990/4/6: 94.0 km (横浜・磯子 ⇒ 三浦半島一周 ⇒ 磯子)
1990/5/6: 90.4 km (府中 ⇒ 相模湖 ⇒ 府中)
1990/5/31: 72.5 km (府中 =(輪行)= 奥多摩 ⇒ 奥多摩湖 ⇒ 府中)
1990/6/17: 100.0 km (府中 ⇒ 鎌北湖 ⇒ 府中)

(地図1: 小旅行のルート概略)



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