1991年春 西日本横断 - 39泊40日 2900 km

その7: 東海道編: 4月1日 (月) 〜 4月9日 (火)

(地図1: 旅の行程概略)

4月1日 (月): 21.5 km

吉田寮は左京区にある。 そのため、今回は左京区周辺すなわち東山方面を中心に観光することにした。 まずは慈照寺、別名は銀閣寺。 金閣は修学旅行で訪れたことがあったが、銀閣は初めて。 きらびやかな金閣に対し、 落ち着いた雰囲気。 わびさびの文化とは、こういうことなのだろうか。 日本人に生まれて良かった。
S願寺お勧めは、永観堂。 ここのご本尊は見返り阿弥陀と言い、横を向いている珍しい阿弥陀様。 なるほど、 こんな仏像は初めて見た。 仏様が妙に人間っぽく、心が穏やかになった。
南禅寺は大きな寺。 石川五右衛門が 「絶景かな絶景かな」 と絶賛した三門がある。 枯山水の大方丈庭園はさすが京都と思わせる雰囲気だった。
もうすっかり春。 桜がだいぶ咲き始めていた。 桜の名所である平安神宮へ。 京都としてはかなり新しい建物。 社殿の朱色が青空に映え眩しい。 中神苑という大きな庭園は、日本的というより中国大陸文化の感じがした。
最後の休息地である京都で、S願寺とたっぷり飲んだ。 さあ明日からは横浜に向かって東海道を一直線だ。

(写真2: 京都銀閣)

4月2日 (火): 104.0 km

東海道53次全部に立ち寄りながら帰路につこうかと思ったが、さすがに膨大なので、 宿場跡が残っている主な史跡のみは逃さないようにした。
京津線と並行しながら京都を後にし、滋賀へ。 県境の逢坂峠は、僕が好きな百人一首の詩に詠まれている場所。

これやこの 行くも帰るも 別れつつ しるもしらぬも あふさかの関 (蝉丸)

関所跡はどこだったのだろう? 交通量の激しい国道1号線上には見つけられなかった。 草津で東海道は中山道と分岐し、 南東に進路をとる。 現在の東海道本線や東海道新幹線が通るルートは、実は中山道の跡を通っている。
国道1号線は、鈴鹿峠に向かって、徐々に標高を上げる。 ローカルな風景の中、標高約350 mの鈴鹿峠トンネルへ。 ここから早くも三重県に入った。 滋賀県が唯一、今回の旅で立ち寄ったのに宿泊しなかった県となった。 おおよそ下ったところが関宿。 ここは鈴鹿峠手前の宿場として栄えた所。 宿場の雰囲気が町並みに残っている。
さらに進み、四日市市の追分で行動を止める。 追分は伊勢街道との分岐点。 この先は野宿するには都会過ぎる。 集落の公園で野宿。 昨日銭湯に入ったので、今日はそのままで良いや。

(写真3: 鈴鹿峠)

4月3日 (水): 110.7 km

野宿にも慣れてきた。 でも夜中には必ず何かの物音で目が覚める。 身ぐるみ剥がされても大したものを持ってはいないが、 それでも心配だ。
揖斐川、長良川、木曽川と木曽三川を越えると、愛知県。 名古屋の熱田神宮を訪れる。 早朝で人が少なく、 荘厳な雰囲気の中でお参りが出来た。 中京競馬場手前の有松宿は、東海道53次の中では比較的新しい町らしい。 それでも400年近い歴史を持ち、そっくり残された町並みは保存地区に指定されている。 せっかくなので、町の蕎麦屋で昼食。 歯ごたえ十分の美味しい蕎麦だった。
安城の旧国道沿いの松並木を走り、岡崎へ。 徳川家康生誕の地岡崎城や、国の重要文化財である多宝塔がある大樹寺に寄り道した後、 国道248号線を南下。 東海道を少し離れ、幡豆町のユースホステルへ。 知多湾に面した穏やかな場所だ。

(写真4: 名古屋有松宿)

4月4日 (木): 117.8 km

このユースホステルは、幡豆観音寺の宿坊にある。 このお寺は、中風除けとして有名で、 「百寿かぼちゃ観音」をまつっている。 奈良時代の創建とのこと。 歴史は深い。
蒲郡から音羽に抜け、旧東海道の名残が残る御油の松林を走る。 狭い道路の両脇に松が茂り、 いかにも旧街道っぽくて心地よい。
浜名湖手前に、国の特別史跡の新居関所跡があり、国内で唯一現存する関所の建物がある。 この周辺は浜名湖で陸路が限られるため、関所としてはうってつけの土地だった。 僕もこうしてこの関所前を通らざるを得なかったわけだ。 この関所を逃れるために姫街道という山側の隠れたルートがあったらしい。
日坂宿を越えて金谷に抜ける旧街道の峠は、小夜の中山と呼ばれている。 ここのユースホステルにチェックイン。

(写真5: 幡豆)

4月5日 (金): 114.9 km

ここ小夜の中山は、昔は大井川からせり上がった峠として、難所とされていた。 旧街道の石畳も多く残っているので、 遠回りになるが、石畳を求めてさまよいながら走り出す。
峠を下ると、大井川。 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」 と詠われた暴れ川だが、現在は橋が架かっていて、 その様子は微塵も見せなかった。 川を越えたところにある宿場跡が島田宿。 大井川が静まるまで足止めをされた旅人が、 長期滞在をしていたという。
静岡市内に入り、登呂遺跡を見学。 昔から教科書に必ず出ていた有名な弥生時代の遺跡跡だけに、高床式住居の鼠返しなどは、 納得だった。
ここまで来ると、もうゴールは近い。 沼津の千本松原を走り、昨夏に初めて泊りの旅に出た沼津駅前を走り抜ける。 たった1年足らずで、どれだけの距離を走ったのだろう。 またどれだけの経験を積んだのだろう。 ヒゲは伸び、野宿に慣れ、 一日に100 km走るのも苦ではなくなっている。
いよいよ明日は、箱根を越えて実家のある横浜へ。 今日が38泊目。 4日連続で100 km以上走っている。 良く頑張った。 駅前の民宿に素泊まりで休み、お風呂に入ってゆっくり休んだ。

(写真6: 島田宿)

4月6日 (土): 95.3 km

春満開。 三島大社の桜は満開だ。
いよいよ最後の大仕事。 天下の剣、箱根越え。 国道1号線沿いにゆっくり登る。 しだいに急坂になり、漕ぐのが辛くなってきた。 所々に旧東海道の街道跡があり、石畳になっていたりするので、出来る限り風情ある旧街道を登った。 ここなら押して進んでも仕方なく見えるだろう。 見栄を張らなくても良いのに。
登る前はたどり着くのか不安だったものの、いずれは到着する。 箱根峠は海抜846 m。 純粋にこれだけの標高を登りっぱなしだと、 もう限界だ。 箱根の関所跡で少し休んだが、脚はそんなにすぐには回復しない。 現在の国道1号線はまだ少し登るのだが、 そのまま下れる旧国道があるので、迷わず通称七曲りと呼ばれる下り坂へ。 ここまで登ってきた分、一気の下りは凄まじかった。 脚が冷える。
小田原城が最後の観光地。 昨夏、ここからは既に走っているので、計算できる距離だ。 ただし、今のテーマは東海道。 昨夏は最短距離を走ったが、今回は出来るだけ国道1号線を走る。 保土ヶ谷まで戻れば家はすぐそこ。 東海道を離れ、 磯子の実家へ。 たどり着いた時には、もう既に暗くなっていた。

(写真7: 三島大社) (写真8: 箱根旧街道) (写真9: 横浜実家)

4月9日 (火): 48.6 km

2日ほど脚を休ませ、府中のアパートへ戻る。 これで、今後としても国内の旅行としては最も長いことになった40日と2929 kmの旅が、ようやく終わった。

もう、自転車の旅の魅力にはまり、抜け出せなくなっていた。 ひとつの旅が終われば、普通は旅の余韻に浸るか、 旅のことは考えなくなるのかもしれない。 でも僕にはもう次の旅の 『線』 の構想が出来ていた。 この旅で西日本の府県を巡った。 残る中部、近畿、北陸を結ぶ 『線』 が描けてきた。 野宿はもう何とも無い。 でも場所を選ぶ難しさはある。 やはりテントを持って、好きな所に泊れるようになったほうが良さそうだ。 自転車の性能アップも考えなくてはならない。 前に2枚しかないギアを、3枚に改造しよう。 そうすれば、もっと押さずに漕いで登れるに違いない。 ワイヤーなどの予備パーツも必要だ。 夏休みまでにすることがたくさん出来た。

おしまい。

この区間の旅の行程。

日付 行程 走行距離 宿泊地 宿
4/1京都市内観光 21.5 km京都府・京都友人宅
4/2京都 ⇒ 鈴鹿峠 ⇒ 四日市104.0 km三重県・四日市野宿
4/3四日市 ⇒ 名古屋 ⇒ 幡豆110.7 km愛知県・幡豆YH
4/4幡豆 ⇒ 新居 ⇒ 金谷・小夜の中山117.8 km静岡県・金谷YH
4/5金谷 ⇒ 静岡 ⇒ 三島114.9 km静岡県・三島民宿
4/6三島 ⇒ 箱根峠 ⇒ 小田原 ⇒ 横浜 95.3 km神奈川県・横浜実家
4/9横浜⇒府中 48.6 km東京都・府中自宅

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