吉田寮は左京区にある。 そのため、今回は左京区周辺すなわち東山方面を中心に観光することにした。
まずは慈照寺、別名は銀閣寺。 金閣は修学旅行で訪れたことがあったが、銀閣は初めて。 きらびやかな金閣に対し、
落ち着いた雰囲気。 わびさびの文化とは、こういうことなのだろうか。 日本人に生まれて良かった。
S願寺お勧めは、永観堂。 ここのご本尊は見返り阿弥陀と言い、横を向いている珍しい阿弥陀様。 なるほど、
こんな仏像は初めて見た。 仏様が妙に人間っぽく、心が穏やかになった。
南禅寺は大きな寺。 石川五右衛門が 「絶景かな絶景かな」 と絶賛した三門がある。
枯山水の大方丈庭園はさすが京都と思わせる雰囲気だった。
もうすっかり春。 桜がだいぶ咲き始めていた。 桜の名所である平安神宮へ。 京都としてはかなり新しい建物。
社殿の朱色が青空に映え眩しい。 中神苑という大きな庭園は、日本的というより中国大陸文化の感じがした。
最後の休息地である京都で、S願寺とたっぷり飲んだ。 さあ明日からは横浜に向かって東海道を一直線だ。
東海道53次全部に立ち寄りながら帰路につこうかと思ったが、さすがに膨大なので、
宿場跡が残っている主な史跡のみは逃さないようにした。
京津線と並行しながら京都を後にし、滋賀へ。 県境の逢坂峠は、僕が好きな百人一首の詩に詠まれている場所。
関所跡はどこだったのだろう? 交通量の激しい国道1号線上には見つけられなかった。 草津で東海道は中山道と分岐し、
南東に進路をとる。 現在の東海道本線や東海道新幹線が通るルートは、実は中山道の跡を通っている。
国道1号線は、鈴鹿峠に向かって、徐々に標高を上げる。 ローカルな風景の中、標高約350 mの鈴鹿峠トンネルへ。
ここから早くも三重県に入った。 滋賀県が唯一、今回の旅で立ち寄ったのに宿泊しなかった県となった。
おおよそ下ったところが関宿。 ここは鈴鹿峠手前の宿場として栄えた所。 宿場の雰囲気が町並みに残っている。
さらに進み、四日市市の追分で行動を止める。 追分は伊勢街道との分岐点。 この先は野宿するには都会過ぎる。
集落の公園で野宿。 昨日銭湯に入ったので、今日はそのままで良いや。
野宿にも慣れてきた。 でも夜中には必ず何かの物音で目が覚める。 身ぐるみ剥がされても大したものを持ってはいないが、
それでも心配だ。
揖斐川、長良川、木曽川と木曽三川を越えると、愛知県。 名古屋の熱田神宮を訪れる。 早朝で人が少なく、
荘厳な雰囲気の中でお参りが出来た。 中京競馬場手前の有松宿は、東海道53次の中では比較的新しい町らしい。
それでも400年近い歴史を持ち、そっくり残された町並みは保存地区に指定されている。 せっかくなので、町の蕎麦屋で昼食。
歯ごたえ十分の美味しい蕎麦だった。
安城の旧国道沿いの松並木を走り、岡崎へ。 徳川家康生誕の地岡崎城や、国の重要文化財である多宝塔がある大樹寺に寄り道した後、
国道248号線を南下。 東海道を少し離れ、幡豆町のユースホステルへ。 知多湾に面した穏やかな場所だ。
このユースホステルは、幡豆観音寺の宿坊にある。 このお寺は、中風除けとして有名で、
「百寿かぼちゃ観音」をまつっている。 奈良時代の創建とのこと。 歴史は深い。
蒲郡から音羽に抜け、旧東海道の名残が残る御油の松林を走る。 狭い道路の両脇に松が茂り、
いかにも旧街道っぽくて心地よい。
浜名湖手前に、国の特別史跡の新居関所跡があり、国内で唯一現存する関所の建物がある。
この周辺は浜名湖で陸路が限られるため、関所としてはうってつけの土地だった。
僕もこうしてこの関所前を通らざるを得なかったわけだ。 この関所を逃れるために姫街道という山側の隠れたルートがあったらしい。
日坂宿を越えて金谷に抜ける旧街道の峠は、小夜の中山と呼ばれている。 ここのユースホステルにチェックイン。
ここ小夜の中山は、昔は大井川からせり上がった峠として、難所とされていた。 旧街道の石畳も多く残っているので、
遠回りになるが、石畳を求めてさまよいながら走り出す。
峠を下ると、大井川。 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」 と詠われた暴れ川だが、現在は橋が架かっていて、
その様子は微塵も見せなかった。 川を越えたところにある宿場跡が島田宿。 大井川が静まるまで足止めをされた旅人が、
長期滞在をしていたという。
静岡市内に入り、登呂遺跡を見学。 昔から教科書に必ず出ていた有名な弥生時代の遺跡跡だけに、高床式住居の鼠返しなどは、
納得だった。
ここまで来ると、もうゴールは近い。 沼津の千本松原を走り、昨夏に初めて泊りの旅に出た沼津駅前を走り抜ける。
たった1年足らずで、どれだけの距離を走ったのだろう。 またどれだけの経験を積んだのだろう。 ヒゲは伸び、野宿に慣れ、
一日に100 km走るのも苦ではなくなっている。
いよいよ明日は、箱根を越えて実家のある横浜へ。 今日が38泊目。 4日連続で100 km以上走っている。 良く頑張った。
駅前の民宿に素泊まりで休み、お風呂に入ってゆっくり休んだ。
春満開。 三島大社の桜は満開だ。
いよいよ最後の大仕事。 天下の剣、箱根越え。 国道1号線沿いにゆっくり登る。 しだいに急坂になり、漕ぐのが辛くなってきた。
所々に旧東海道の街道跡があり、石畳になっていたりするので、出来る限り風情ある旧街道を登った。
ここなら押して進んでも仕方なく見えるだろう。 見栄を張らなくても良いのに。
登る前はたどり着くのか不安だったものの、いずれは到着する。 箱根峠は海抜846 m。 純粋にこれだけの標高を登りっぱなしだと、
もう限界だ。 箱根の関所跡で少し休んだが、脚はそんなにすぐには回復しない。 現在の国道1号線はまだ少し登るのだが、
そのまま下れる旧国道があるので、迷わず通称七曲りと呼ばれる下り坂へ。 ここまで登ってきた分、一気の下りは凄まじかった。
脚が冷える。
小田原城が最後の観光地。 昨夏、ここからは既に走っているので、計算できる距離だ。 ただし、今のテーマは東海道。
昨夏は最短距離を走ったが、今回は出来るだけ国道1号線を走る。 保土ヶ谷まで戻れば家はすぐそこ。 東海道を離れ、
磯子の実家へ。 たどり着いた時には、もう既に暗くなっていた。
2日ほど脚を休ませ、府中のアパートへ戻る。 これで、今後としても国内の旅行としては最も長いことになった40日と2929 kmの旅が、ようやく終わった。
もう、自転車の旅の魅力にはまり、抜け出せなくなっていた。 ひとつの旅が終われば、普通は旅の余韻に浸るか、 旅のことは考えなくなるのかもしれない。 でも僕にはもう次の旅の 『線』 の構想が出来ていた。 この旅で西日本の府県を巡った。 残る中部、近畿、北陸を結ぶ 『線』 が描けてきた。 野宿はもう何とも無い。 でも場所を選ぶ難しさはある。 やはりテントを持って、好きな所に泊れるようになったほうが良さそうだ。 自転車の性能アップも考えなくてはならない。 前に2枚しかないギアを、3枚に改造しよう。 そうすれば、もっと押さずに漕いで登れるに違いない。 ワイヤーなどの予備パーツも必要だ。 夏休みまでにすることがたくさん出来た。
おしまい。
日付 | 行程 | 走行距離 | 宿泊地 | 宿 |
---|---|---|---|---|
4/1 | 京都市内観光 | 21.5 km | 京都府・京都 | 友人宅 |
4/2 | 京都 ⇒ 鈴鹿峠 ⇒ 四日市 | 104.0 km | 三重県・四日市 | 野宿 |
4/3 | 四日市 ⇒ 名古屋 ⇒ 幡豆 | 110.7 km | 愛知県・幡豆 | YH |
4/4 | 幡豆 ⇒ 新居 ⇒ 金谷・小夜の中山 | 117.8 km | 静岡県・金谷 | YH |
4/5 | 金谷 ⇒ 静岡 ⇒ 三島 | 114.9 km | 静岡県・三島 | 民宿 |
4/6 | 三島 ⇒ 箱根峠 ⇒ 小田原 ⇒ 横浜 | 95.3 km | 神奈川県・横浜 | 実家 |
4/9 | 横浜⇒府中 | 48.6 km | 東京都・府中 | 自宅 |