伊豆半島一周で、確かな手ごたえをつかんだ。 これなら何とかなるのではないか?
7:00東京発の新幹線で郡山へ向かった。 そして磐越西線で会津若松へ。 駅前で、輪行してきた自転車を組み立てる。
前輪の両脇には、新調のサイドバッグが二つ。 1ヶ月の旅となると荷が増え、そのバッグはパンパンになっている。
初めての東北、と言うわけではない。 実は6歳になる夏に、父に連れられ磐梯山登山に来たことがある。
その時のかすかな記憶は、大きな大きな猪苗代湖だった。
なぜ会津若松が出発地点? 当初は東北地方の入り口として、新潟と山形の県境の鼠ヶ関 (念珠関) も考えていた。
しかしそれでは福島県は戻ってくる際の浜通りしか走れない。 旅に出る少し前、白虎隊で会津を知った。
ガイドブックを見ると、鶴が城や裏磐梯など、素晴らしそうではないか。
まずは会津のシンボル鶴ヶ城から、観光を始める。 往時そのものが残る松本城を見たことがあるので、
再建されたコンクリートの城は、少し物足りなかった。 しかし天守閣は白くきれいで、立派ではあった。
そして飯森山の白虎隊墓所へ。 悲しい歴史はあえて述べるまでも無い。 ここから眺める鶴が城の天守閣は、
夏の陽射しの中、もやっていてぼんやりとしていた。
飯森山の脇の静かな山道を、猪苗代まで登る。 国道ではないのどかな峠道。 陽射しが暑いが、気持ち良い。
会津盆地が眼下に消え、沓掛峠を登りきった所が、強清水と呼ばれる名水の涌く休憩地。
完璧に火照った体を、冷たい水が冷やす。
そして猪苗代湖へ。 大きな大きな印象は、子供の頃と変わらない。 国道49号線に合流してからは、
さすがに交通量が多くなる。 所々に動物の死骸が転がっている。 猪苗代にある野口英世記念館は、
微生物に興味を持つ僕にとっては、是非訪れなければならなかったところ。 伝記を子供の頃に読んで以来、
すっかり忘れていた偉業を思い出した。
地元の祭りを見たり、観光をしながら、旅の初日は猪苗代のユースホステルで終えた。
裏磐梯へ。 宿で知り合ったY君と五色沼まで一緒に走る。 五色沼で印象的だったのは、青沼の青さ。 これは尋常ではなかった。 他の沼の色は想像できる色だったのに対し、丁度太陽の角度が良かったのか、際立っていた。
Y君は、桧原湖の南岸を走り、喜多方へ向かった。 僕は湖の東岸を北上し、この旅最難関と考えていた白布峠越えへと向かう。
白布峠は、標高海抜1420 m。 標高800 mの桧原湖まですでに午前中だけで300 m登ってきているが、さらに600 mも、
荷物満載の自転車で登れるのか? 道路は西吾妻スカイバレー有料道路と名が変わり、すぐに九十九折れの急坂になる。
伊豆西海岸で散々苦しめられたが、ここはずっと上り坂。 たまに通る自動車に見栄を張るため頑張って漕いで登ろうとするが、
そんなことは限界になってきた。 えーい。 押してやれ。 夕方までに宿に着けば良いさ。 炎天下。
入道雲が立ちのぼっている。 桧原湖は遥か眼下に低い。 フラフラになっても、少しずつ進む限り、
必ず頂上にはたどり着くものだ。 15:00過ぎた頃にようやく白布峠。 同時にここから山形県になる。
ここで端を発する最上川とともに、海まで下るぞ。 軽快な下りが始まった。 怖いくらいスピードが出る。
今夜の宿は、白布温泉の公共の宿。 温泉でパンパンに張った脚をゆっくり休ませるとしよう。
朝から下りっぱなし。 一気に米沢へ。 戦国時代の武将好きの僕にとっては、上杉家は上越の大名であるイメージが強かった。 その上杉氏が、関が原の戦い以降、会津から米沢へ転封され、以降は米沢の殿様となったことは、あまり知らなかった。 そして上杉鷹山とは誰なのか、訪れて初めて知った。 上杉家にまつわる観光地をいくつか回った後に北へ。
赤湯へ。 ここには結城記念館がある。 元日銀総裁・結城豊太郎氏の生誕地。 実は母方の旧姓は結城。
祖父母は山形の出身。 もしや僕と血縁か? 後で聞いてみたが、かなり関係無いらしいことが分かった。 残念!
上山温泉を越え、山形市南部黒沢温泉にあるユースホステルへ。 田んぼの中にぽつんと立つ、こぎれいな宿だ。
山形市を過ぎ、立石寺、別名山寺へ。 この旅で、初めて松尾芭蕉の奥の細道ルートと重なった。 芭蕉は東北地方南部を反時計回りに移動した。 僕は逆の時計回り。 この後もいくつもの地点で、 彼のルートとダブることになる。 山寺と言うだけあって、お参りするには山を登らなければならない。 階段が続く。 大木の森の中を歩くと、何となく心が静かになってくる。
旧羽州街道を尾花沢へ。 この町には芭蕉の俳諧仲間の鈴木清風がいて、一週間も滞在したらしい。 資料館やその宿泊場所となった養泉寺などが、観光地になっている。
さらに北上をすると、久しぶりに最上川と再会した。 初めて白布峠で見たときは源流の滝であったが、
今は山形県内のほぼ全ての水を集め、とうとうと流れる大河に姿を変えていた。
今日の宿は舟形温泉の民宿。 地元の工事のおじさんたちが長期滞在している陽気な宿だった。
国道に沿って新庄に出ると遠回りなので、県道を走ってショートカットし、本合海で国道47号線と合流する。 ここからは三度目の最上川沿い。 松尾芭蕉が梅雨で増水した川を見て有名な句を詠んだ。
今日の流れはそれほど速くは感じない。 しばらく進むと、舟下りをしている乗り場に着いた。 両岸がせり上がった峡谷になっている。 いくつかの細い滝が、崖の上から最上川に流れ落ちている。 ここから数キロはそんなのんびりとした風景が続いた。
清川集落の先で最上川と別れた。 真東に進み、藤島城跡へ。 民宿でもらったおにぎりを食べて休んでいると、
地元のおばあちゃんが話しかけてきた。 全く聞き取れない。 これが山形弁なのか? 地域はすでに庄内。
日本海にも近い。 地元の人と喋れるのはとてもうれしいのだけれど、この会話だけは無理だった。
鶴岡には藩校であった致道館や致道博物館などがある。 この致道館は、東北に唯一現存する藩校らしい。
今日の宿は鶴岡ユースホステル。 ところがこの宿までは、市街地から15 kmほど西に走らなければならない。 由良の先にある。 そこはもう日本海。 生まれて初めて目にする日本海。 などと、あまり感傷的にはならなかった。 なぜならこの旅は初めてのことが多すぎるから。
ここまでの走行距離: 計 292.2 km
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