1990年夏 みちのくひとり旅 - 27泊28日 1900 km

その5: 再び福島、そして帰路 8月21日 (火) 〜 8月25日 (土)

8月21日 (火)

せっかく海沿いに宿泊しているのに、まともに日の出を見ていない。 5:00頃の日の出。 それに合わせて起き出し、 海から昇る日の出を眺めた。 残念ながら水平線に雲が多く、水面からの日の出は見られなかったが、すがすがしい気分になる。
海岸線に沿って自転車を走らせ、再び福島県に入る。 相馬の松川浦をじっくりと見たかったが、岸辺と並行する車道がわずかしかなかったため、 残念ながらさらっと眺めただけで通り過ぎる。
なるべく国道6号線を走らずに、並行する車通りの少ない県道を走る。 あっという間に宿泊予定地の小高に到着。 この地は、中世の奥州相馬氏の本拠があった所。 小高城跡が小さな丘の上にあり、現在は相馬小高神社として奉られている。 時間もあるのでゆっくり散歩して、町なかの旅館にチェックイン。

(写真1: 21歳の日の出)

8月22日 (水)

南下。 国道6号線沿いには、大きな原子力発電所が2つもあった。 当然国道から見える場所にあるわけではないが、 発電所へと続く、広く立派過ぎる道路は、周辺の風景と全くもって不釣合い。 これが東北地方の電力ではなく首都圏への電力と言うのだから、なおさら変な感じだ。
国道6号線が海に近づき、日本一大きな市のいわきに入った。 中心地である平を過ぎ、内郷から脇道に入り、 白水阿弥陀堂を観光する。 平泉の金色堂を模して建立したと言われてる平安終期の建造で、 福島県の建造物としては唯一国宝に指定されている。 庭園は浄土式庭園。 白水はこの一帯の地名ではあるが、 平泉の 「泉」 に由来 「白+水=泉」 するらしい。
福島県というより、東北地方最後の観光地、勿来の関へ。 白河の関、鼠ヶ関 (念珠の関) と並ぶ奥州三古関のひとつ。 奥州討伐の際に立ち寄った源義家の句が有名。

吹く風を なこその関と 思へども 道もせにちる 山桜かな (源義家)

この関所は、すでに5世紀には既に機能していたらしい。 勿来という地名は、「来る勿れ」という意味から生まれたらしく、 古代よりここは蝦夷地への入り口であった。

(写真2: 白水阿弥陀堂) (写真3: 勿来の関)

さて、今晩の宿は予約していない。 県境を越えた茨城県最初の街である北茨城で宿を探そうとした。 しかし駅前で確認したところ、安い宿でも2食付きで5000円程度する。 次の町の高萩でも同じだった。 20日以上旅を続けていると、宿は寝るだけの感覚なので、そのためにはもったいない気がして来た。 よし、野宿を経験してみよう。 男鹿ユースホステルで会ったチャリダーは、めったに宿には泊らないと言っていた。 自転車の進む距離は天候や風に左右されるし、目的は縛られないことのはず。 それなのに自分が決めたスケジュールに縛られていては、元も子もない。 早く目的地に到着しすぎて半日ボーっとしていた日もあった。

いざ野宿と決めても、どこに寝たらよいのか分からない。 夕食や風呂は済ませたものの、街ではまだ人々が行き交っている。 夜が更けるまで? コインランドリーで洗濯をして時間を潰す。 ようやく人通りが少なくなってきたので、駅前のベンチに横になる。 でも眠れない。 街灯が眩しく感じる。 近くの小さな公園に移動。 ベンチに横になりウィンドブレーカーを被ると、 日中の疲れからか、いつの間にか眠ってしまっていた。

8月23日 (木)

いくら夏とはいえ、明け方は少し冷える。 少し眠りが浅かったのか? 少し疲れが残っている気がする。 野宿は大変なことかなと思っていたが、朝になってみると何とかなるものだという気もしてきた。

既に関東地方、茨城県。 ここまで戻ってくると、さすがに家に早く帰りたくなってくる。 昨日多めに走ったおかげで、 今日も少し長く走れば、明日の予定地であった土浦に、今日中に到着する。 日立市を過ぎ、東海村で国道245号線を離れ、県道へ。 水戸には昼前に到着。 弘道館や偕楽園など観光地があったが、気が焦っていた。 早く土浦に着きたい。 偕楽園は日本三名園と言われているのだが、有名な梅の季節ではないし場所も近いからいつでも来れそうな気がして、通過した。

暑い関東平野。 日本第二の湖である霞ヶ浦の脇を少しだけ通り、土浦のユースホステルへ。 やはり屋根の下は良いなと思った。 ペアレント (ユースホステルでは主人をそう呼ぶ。 家庭的な意味を持たせているのだろう) のお婆ちゃんには茶道の趣味があり、夕食後は苦いお抹茶をすすって旅の話が弾んだ。

8月24日 (金)

一日予定が早まったことを、中野に住む母方の伯父夫妻に連絡を入れた。 今日はそこにお邪魔することになっている。 もう、特に観光地は無いし、する気も無い。 千葉県の野田に入り、すぐに埼玉県に入る。 草加から旧国道4号線に入ると、 すぐに東京都。 関東地方は一つの県が小さく感じる。

車通りの激しく危険な環七通りをおっかなびっくり進み、中野区沼袋へ。 小学生の頃、電車を乗り継いで何度も来た事があるが、 最近はご無沙汰していた。 小学生の目と大学生の視線では道路の起伏も距離も曲がり角も、何もかも違って見えたが、 グルグルしているうちに何とか到着。 一晩、ゆっくりさせてもらった。

この家は、母方の結城家の直系。 山形の赤湯で結城豊太郎の記念館に立ち寄ったよと話したが、 ここで血縁関係がかなり無いらしいことがわかった。 残念。 大きく署名までしてきたのに。

8月25日 (土)

ああ、早く家に着きたい。 もうそれだけだった。 会津若松を出発して28日目。 多摩川の丸子橋を渡ると、ついに神奈川県。 1都10県に及んだ長旅が、ついに終了した。

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体重が少し減って体は引き締まり小さくなったが、心は大きく育った。 これまで地図を眺めていて想像するだけだった土地が、自分の力で走り抜けることで、現実味を持ち、身近になるだけではなく、 もう自分の土地になったような気分さえした。 いつでも行けるんだ。 行こうとさえすれば。

得たこと、反省すること、いっぱいある。 でもそれは体験してみないとわからない。 いくら本で読んでも、 人に聞かされても、自分で行動して初めて経験として残り、次に生かせるのではないか? 野宿を経験した。 もう宿の予約が取れないからって余計な心配は不要だ。 余程の観光地で無い限り、直前の予約でも間に合いそうだ。

道路のアップダウンは地図を読むことで想像できる。 後は、自分の体調まかせ、風まかせ。 自転車の旅はそうありたいと思う。

(写真4: 旅を終えて)

この旅の総走行距離: 計 1923.3 km
今回の走行距離: 計 420.9 km

  • 8/21: 69.7 km (鳥の海 ⇒ 小高)
  • 8/22: 122.5 km (小高 ⇒ 高萩)
  • 8/23: 103.2 km (高萩 ⇒ 土浦)
  • 8/24: 81.1 km (土浦 ⇒ 中野)
  • 8/25: 44.4 km (中野 ⇒ 横浜・磯子)
(地図5: ここまでのルート概略5)

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