1991年春 西日本横断 - 39泊40日 2900 km

その2: 九州・後編: 3月5日 (火) 〜 3月10日 (日)

(地図1: 旅の行程概略)

3月5日 (火): 0.0 km

長崎はじっくりと観光することにした。 ここは山と山の間に開かれた港から発展した坂の街なので、 自転車に乗らずに路面電車の一日乗車券を買って、フルに観光した。
グラバー園、大浦天主堂、孔子廟、亀山社中跡、オランダ坂、平和公園、浦上天主堂などなど。 江戸時代に西洋と関わりがあった唯一の地だけあって、雰囲気が洒落ている。
一方、日本3大中華街と呼ばれる長崎のそれは、横浜中華街に昔から慣れ親しんでいる僕には、 あまりにも規模が小さく、かなりがっかりだった。
夜にはユースホステルのツアーで稲佐山に登って百万ドルの夜景も満喫。 旅の序盤の疲れを自転車に乗らないことで癒すつもりだったが、観光で余計疲れたかな?

(写真2: 長崎のユースホステルにて) (写真3: めがね橋)

3月6日 (水): 113.3 km

長崎県の海岸線は複雑だ。 全国一長い海岸線を持つ都道府県は、実は長崎県。 北に大きく突き出した西彼杵半島を北上する。
オランダ村の前を通り過ぎる。 むさい男一人では立ち寄れる雰囲気ではなかった。
さて、この西彼杵半島は、先端で佐世保方面と橋でつながっている。 間に挟まれた大浦湾は出口が数百メートルしかなく、 まるで大きな湖のようなものだ。 その橋は西海橋といい、潮の流れの速いときには大きな渦を巻くことがある急流の名所とのこと。 いったい、湾と塩湖の定義の違いはなんなのだろう?
そのまま佐賀県に入る。 有田や伊万里、唐津など焼き物で有名な街を通り過ぎる。 まだまだ旅は長い。 焼き物のお土産を買おうなどとは、全く思わなかった。
唐津湾に面した虹ノ松原と呼ばれる静かな海岸線にユースホステルがあり、そこに泊る。

(写真4: 虹ノ松原)

3月7日 (木): 77.2 km

海岸沿いを東へ、福岡県に入る。 元寇防塁跡が残る長浜海岸を経由し、福岡市街地へ。 ただ、特に市街地に魅力を感じる観光地がない。 ガード下の博多ラーメンの店で昼食をとって市街地を通過。 当然豚骨ラーメン。 こってりしていたな。
進路を南東にとり、大宰府のユースホステルへ。 大宰府の観光地は当然天満宮。 すでに梅の花が咲き、 合格祈願に来たと思われる学生服姿も多い。 天満宮のすぐ近くに光明禅寺というコケ寺がある。 100円の寄付金で、石庭と枯山水と二つの日本庭園を見ることができる。 コケの緑と石の白が見事な調和で、 入場料以上の価値を感じる見事な庭だった。 苔を見ると心が落ち着く。

(写真5: 大宰府天満宮) (写真6: 光明禅寺)

3月8日 (金): 95.0 km

朝からドンヨリした雲。 昼に日田に着いた頃には、この旅で初めての本各的な雨となった。 今日の予定地である耶馬溪は、峠を越えた大分県。 小京都とも称される日田の観光もせずに、 とにかく走って早く宿に着くことだけを考えた。 ダラダラと登り、標高500 m弱の大石峠トンネルを抜ける。
峠の先からが大分県。 一帯は奥耶馬溪と呼ばれる天下の奇勝地帯。 僕は訪れなかったが、 支流の深耶馬溪や裏耶馬溪なども含め、頼山陽と言う人が「耶馬溪天下に比べるものなし」と称えた名勝らしい。 残念ながら、雨雲に隠れてその奇岩は少ししか見られない。
本耶馬溪のユースホステルにビショビショで到着。 宿には雨のために連泊したサイクリストが一人泊っていた。 どうせ濡れているので、そのまま付近の羅漢寺や青の洞門へ。 青の洞門は菊池寛の「恩讐の彼方に」で有名。 これは、僧禅海が、難所であったこの地に、ノミとツチだけでトンネルを30年かけて完成させたと言う話である。 その素掘りのトンネルが今も残っている。 僕には出来ないね。

(写真7: 本耶馬溪)

3月9日 (土): 89.2 km

天気は回復した。 しかし服も靴も濡れたまま。 心地悪い中、国道212号線沿いに下り、中津へ。 ここには福沢諭吉の旧宅や中津城がある。
海岸沿いを北上し、再度福岡県へ。 と走っていたらワイヤーがプッツリと切れた (ブレーキだったか変速ギアだったかは、 もう覚えていない)。 これはヤバイ。 いくら何でもワイヤーの予備は持ち合わせていない。 幸いにも国道沿い。 7-8 km走った次の町で自転車屋を発見。 すぐに修理をする。 こんなこともあるんだな。 パンク対策しかしていなかった。 次の旅からは、ワイヤーの予備も常備することにしよう。
北九州市の市街地を避けるように、関門海峡へ。 ついに10日ほど滞在した九州の旅を終える。 自転車はどうやって海峡を越えるのかというと、橋ではなくトンネルがある。 しかも自転車と歩行者のための専用トンネル。 つまりは歩いても九州と本州を往来できるわけだ。 エレベーターで地下50 mまで降り、長さ780 mのトンネルを渡る。 丁度中間地点なのだろうか、県境の線があった。
この日と翌日は山口県下関のユースホステルに宿泊。

(写真8: 関門トンネル)

3月10日 (日): 9.8 km

今日こそ本当の脚休め。 下関駅からJRで再び九州小倉駅へ。 モノレールで小倉競馬場へ。 少しずつ暖かくなってきた春の陽射しを浴びながら、100円の入場券で競馬を楽しむ。 しかし当たらないなー。。。

この区間の旅の行程。

日付 行程 走行距離 宿泊地 宿
3/5長崎市内観光0.0 km長崎県・長崎YH
3/6長崎 ⇒ 西海 ⇒ 唐津113.3 km佐賀県・唐津YH
3/7唐津 ⇒ 福岡 ⇒ 大宰府77.2 km福岡県・大宰府YH
3/8大宰府 ⇒ 日田 ⇒ 山国・耶馬溪95.0 km大分県・山国YH
3/9山国 ⇒ 中津 ⇒ 下関89.2 km山口県・下関YH
3/10下関 =小倉競馬場= 下関9.8 km山口県・下関YH

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