1991年春 西日本横断 - 39泊40日 2900 km

その3: 山陽道・前編: 3月11日 (月) 〜 3月14日 (木)

(地図1: 旅の行程概略)

3月11日 (月): 62.8 km

下関はフグの名産地。 ユースホステルの夕食でもフグが出た。 少し贅沢をした気分。 またここは源平の壇ノ浦の合戦の場でもある。 すぐ近くの赤間神宮は、安徳天皇を弔うために建てられたそうだ。
国道2号線、山陽道はここから始まる。 今日の目的地は秋吉台 (あきよしだい) と秋芳洞 (しゅうほうどう)。 地理の教科書に必ず出るカルスト大地と日本一と言われる巨大な鍾乳洞。 台地には石灰岩が乱立し、異様な景色が広がっている。 一方の鍾乳洞は巨大なホールや百枚皿、千畳敷など、特異な風景が凝縮されている。 なるほど、規模が大きい。 ライトアップも美しい。
はっきりしない天気の中、秋吉台のユースホステルに宿泊。

(写真2: 赤間神宮) (写真3: 秋吉台)

3月12日 (火): 112.9 km

国道435号線の大きな峠道を避け、平坦な県道をつなぎ小郡経由で山口市街地へ。
山口市は、室町時代に大内氏が築いた小京都とも称される美しい町並みが特徴。 フランシスコ・ザビエルも大内氏の庇護の元、 宣教活動をしていた。 それを記念したザビエル記念聖堂を見学。 まさか半年後にこの美しい聖堂が焼失し、 偶然にもまたそこを訪れることになろうとは。
瑠璃光寺の五重塔は、日本で最も美しいと言われている塔で、国宝に指定されている。 言われれば、曲線と直線の調和が、 今まで見てきた塔より端整で綺麗かもしれない。 他にも常栄寺の庭園なども見事だった。
日本三大天満宮の防府天満宮や周防国衛跡などがある防府を通り抜け、徳山を過ぎる。
今日の宿は決めていない。 ユースホステルが良い距離にないので、野宿をすることにした。 良さそうな場所を探したが、 なかなか見つからない。 まだ時間も早いから、駅に泊るのも心地悪い。 夕食を先にとって、熊毛町の呼鶴温泉へ。 すでに外来入浴できない時間帯になってしまっていた。 残念。 悔しいので、温泉前のベンチで寝袋を出して寝っころがる。 これが今日のベッドだ。

(写真4: ザビエル記念聖堂) (写真5: 瑠璃光寺)

3月13日 (水): 59.7 km

朝一番で地元のおじいちゃん達と一緒に温泉に入る。 待った甲斐があった。 ふー、すっきりさっぱりした。
岩国の錦帯橋へ。 江戸時代に架けられた、木造五連のアーチ橋。 日本三名橋のひとつと言われている立派な橋。 流れる錦川はとても綺麗だった。
すぐに広島県境。 そして宮島口のユースホステルにチェックイン。 自転車を置いて、フェリーで日本三景の宮島へ。 平清盛が深く崇拝していた厳島神社は、国宝や重要文化財に指定されている。 社殿前の大鳥居付近の浅瀬には、鹿が群れている。 鹿に餌をやって写真を撮っている人がいたので、僕もその情景を拝借して暫く撮影。 これも借景と言うのかな? おかげで鹿煎餅を買わなくて済んだ?

(写真6: 錦帯橋) (写真7: 宮島 厳島神社)

3月14日 (木): 51.9 km

広島市街地へ。 さすがに大都市だけあって交通量が多い。 平和記念公園、原爆ドームへ。 長崎も含めこれら負の遺産は、 平和に慣れきった世代にとっても、一度は訪れその悲劇を目の当たりにすべき場所だろう。 そうすれば絶対戦争なんてしたくないと思わずにはいられない筈だ。
原爆で倒壊してしまったかつての国宝・広島城はさっと通り過ぎ、縮景園と言う日本庭園を散策。
昼過ぎのカーフェリーで四国愛媛の松山へ。 穏やかな瀬戸内海を3時間のクルージング。
松山のユースホステルは、日本最古の温泉と言われ聖徳太子も訪れた道後温泉近くにある。 松山は正岡子規や夏目漱石などとゆかりも深く、また石垣の美しい松山城もそびえる田舎の都会。
明日からはいよいよ四国の旅が始まる。

(写真8: 原爆ドーム)

日付 行程 走行距離 宿泊地 宿
3/11下関 ⇒ 秋芳 ⇒ 秋吉台62.8 km山口県・秋吉台YH
3/12秋吉台 ⇒ 山口 ⇒ 防府 ⇒ 熊毛112.9 km佐賀県・唐津野宿
3/13熊毛 ⇒ 岩国 ⇒ 宮島 59.7 km広島県・宮島YH
3/14宮島 ⇒ 広島 =(フェリー)= 松山港 ⇒ 松山 51.9 km愛媛県・松山YH

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