1991年春 西日本横断 - 39泊40日 2900 km

その4: 四国・前編: 3月15日 (金) 〜 3月20日 (水)

(地図1: 旅の行程概略)

3月15日 (金): 109.7 km

四国には霊場と呼ばれる寺が88ヶ所あり、これらを巡る事で心と体を修行し、88の煩悩を除き88の功徳をもたらすといわれている。 いわゆるお遍路さんのこと。 四国に入ると一変してこの業をしている人を多く見かけるようになった。
僕の目的は88の煩悩を除くことではないけれど、日々これ修行のようなものなので、通りすがりに霊場があった場合は、 立ち寄るようにした。 ユースホステルのすぐ近くに霊場第51番札所の石手寺があったので、立ち寄る。 楼門は国宝、本堂や三重塔などは国の重要文化財と由緒正しい。
一路、国道378号線を南西へ。 伊予灘を楽しんだ後、伊予の小京都と呼ばれる大洲の街へ。 江戸から明治の町並みが残り、 臥龍山荘など歴史的建造物も多い。 ここはNHKドラマ おはなはんのロケ地だ。
一気に宇和島へ。 闘牛で有名だが、開催日ではなかったのが残念。 天赦園という国の名勝である庭園へ。 上り藤が見事らしいが、季節ではないので、これも残念。 一番良かったのは、多賀神社 別名凸凹寺。 ここには、 うら若き僕には刺激が強すぎる性コレクションがズラリと展示されていた。 ユースホステルは相部屋なので、いろんな人と話をする。 やはり一番の話題は、凸凹寺。 そこに行ったとか良かったとかの感想意見が飛び交い、若い話で盛り上がった。

(写真2: 松山城) (写真3: 凸凹寺)

3月16日 (土): 105.7 km

宇和海と呼ばれる四国西岸の海岸線は、典型的なリアス式海岸のため、国道は大きなアップダウンを繰り返す。 国道が通らないそれらの小さな半島を廻っても良かったが、今日予定している「竜串」のユースホステルまでの距離が長いので、 大幅にカットして走った。 足摺岬に程近い「竜串」は、古い岩石が海水で浸食された奇岩地帯。 翌朝訪れたすぐ近くの千尋岬にある「見残し」はその規模を大きくしたもの。 またこの辺りはサンゴも美しく、 ちょっと海沿いを歩くと簡単にサンゴを拾えた。 考えてみたら、サンゴを見たのは初めてだ。 さすが南の海。 この一帯は足摺サニーロードと呼ばれ、降り注ぐ太陽に照らされ、明るい雰囲気だった。

(写真4: 竜串)

3月17日 (日): 34.4 km

今日は休足サイクリング。 足摺岬までの距離は半日にも満たない。 ただ、岬は展望が雄大だけあって、 そこまでの行程はアップダウンが激しかった。 よく台風接近のときに耳にする足摺岬。 それもそのはず、 ここは果てしなく広がる太平洋に見事突き出た絶景の地だ。 四国最南端でもある。 ともかく岬のユースホステルに早々にチェックイン。
この宿で奈良出身のチャリダーY原君と会った。 ちょうど同い歳。 大学サイクリング部の彼は、さすが部活仕込みだけあって、 色々と詳しい。 僕はボトルに麦茶とかジュースとかいろいろ入れているが、彼は水しか入れない。 料理をする際などの水筒としても兼用するため、においを付けないためらしい。 他に僕は構わずサングラスをして走るが、 彼はトンネルなど急激な明暗の変化に危険だからとのことで、サングラスを禁止されている。 などなど。 勝手気ままに好きなように走っている僕は、体力はあるものの旅のテクニックはまだまだ。 学ぶことが多かった。

(写真5: 足摺岬)

3月18日 (月): 134.0 km

Y原君も高知市方面に走るとのことなので、ここから高知市までの2日間は一緒に走ることにした。 二人で走ると無駄に停まることが少なくなるので、ペースは上がる。 あっという間に四万十川河口の街である中村を通り過ぎる。
四万十川に沿って遠回りすることも一人であれば考えたが、ペース良く走っているし、最短距離で東進する。 やはり四国の海岸線は厳しく、国道は海を時々離れて山に入り、峠を越える。 僕の坂を登る体力は相当あるらしく、 ギア比なども含めて性能が良くない自転車で、よく登るものだとY原君に感心された。 えへん。 ただし、 下り坂は不安定な自転車なので、苦手だ。 あっという間に引き離される。
ちなみに自転車の性能を比べてみる。 ギア比は、僕の自転車の前ギアが2段、後ろ6段の12段変速。 しかも前ギアの低速ギア歯数が大きいため、登りには相当力が必要で、重荷を積むサイクリングには不利だ。 ちなみに一般のサイクリング車の前ギアは3枚あり、低速ギアの歯数は少なめに設定されている。 またタイヤについても、径27インチ、幅1-3/8インチという細くて大きいタイヤでは、重心も高いし下りで不安定になる。 一般車では径26インチ、幅1-5/8インチが流行っていた。 要するに、 僕のロードマンは高速車であって長距離サイクリング車ではないらしい。 体力で相当カバーしていたんだな。
そんなこんなで、須崎に到着。 今日は駅舎内のベンチで眠ることにした。 Y原君は駅をよく利用するらしい。 何せ雨風を防げるし、水もトイレもあるのだから。 そうか、土管で眠る必要は無かったのか。。。

(写真6: 七子峠にて)

3月19日 (火): 68.3 km

駅の朝は早い。 それが難点だ。 でもやはりトイレを探す必要が無いことは、この上ないメリットだ。
仁淀川を越え、土佐桂浜へ。 ここにはあの坂本竜馬の像がある。 実は長崎の亀山社中近くにもあったので、 この旅で二回目のご対面。 土佐と言ったら、やはり闘犬。 モノは試しに見たものの、かなりえぐいものだった。 何もそこまで噛みつかなくたって良いじゃない、仲良くしようよ、と思ってしまった。 人間って勝手なものだ。
Y原君とは高知の名所、はりまや橋で別れた。 彼とはその後も年賀状などのやり取りを続けている。 さてはりまや橋はペギー葉山の「南国土佐をあとにして」で有名だが、もう一つ有名なのが、日本3大がっかり名所として。 あとの2つは、北の大地にある時計台と南の島にある今や世界遺産の門と言われている。 下の写真にある通り、欄干があるだけで、 橋は一体どこに? だった。 ペギー葉山のファンではないので、ロマンチックな想像をしていたわけではないが、 これを楽しみに見に来た人には、さぞがっかりするらしい (ちなみに1993年に名誉挽回のために近くに橋が作られたようだ。 でも小さすぎて、やっぱりがっかりらしい)。
高知では、高校時代の野球部同期生であるY木氏の下宿にお世話になることにしていた。 市街地西方の朝倉にある下宿に向かった。

(写真7: 桂浜) (写真8: 高知はりまや橋)

3月20日 (水): 11.8 km

今日は休足日。 Y木氏は朝食つきの下宿に住んでいるが、近くアパートに越すとのことで、 そこを見学したりしてのんびり過ごした。 夕食にY木氏の大学友人らと焼き鳥屋で散々飲んだ。 そしてついには伝家の宝刀である中○明菜を歌い、堂々と振り付きで踊ってしまったらしい。 若いって怖い。

この区間の旅の行程。

日付 行程 走行距離 宿泊地 宿
3/15松山 ⇒ 大洲 ⇒ 宇和島109.7 km愛媛県・宇和島YH
3/16宇和島 ⇒ 宿毛 ⇒ 竜串105.7 km高知県・竜串YH
3/17竜串 ⇒ 足摺 34.4 km高知県・足摺YH
3/18足摺 ⇒ 中村 ⇒ 須崎134.0 km高知県・須崎野宿
3/19須崎 ⇒ 桂浜 ⇒ 高知 68.3 km高知県・高知友人宅
3/20高知市内観光 11.8 km高知県・高知友人宅

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